(日本港湾経済学会40年史事情 日本港湾経済学会年報 No.40
2002年3月31日 横浜と港湾文化 40周年記念年報 引用 原文のまま)
1.港湾経済研究会と学会の形成
第二次大戦後、日本の港湾は占領政策下で従来にない近代化が試みられた。 港湾の行政・運営・労働・港運業等の法政化が種々な面からみられたが、占領政策上、朝鮮動乱のために大いなる期待を抱かれた 「ポート・オーソリティ」 の計画の実現は、日本人の理解も乏しいままで未解決の状態になっている。
周知のように日本における港湾の世界は、幕末明治以降、本質が土木工学、港湾技術関係者が、大体中心となって行政 ・機械化・運営等の実をあげてきたとみられる。運輸省をはじめ港湾関係(各県市系をふくめて)の行政は、ほぽ有能な技術者、工学者等が司っていた。例えば、港湾のみならず道路・交通論 や都市論にしても道路工学や都市工学一般で問題が解決されるものでなく、経済学・経営学・社会学等や人間と社会の歴史を加味しなければならなかった。
この問題は、港湾造成一つに しても工学・技術者のみならず経済・経営・社会学等に通ずる行政者が必要であったが、日本における行政と人事と能力の問題点は決して欧米的な性格でもなかった。戦後における法政化の進展とならんで、従来研究対象には考えられなかった港湾経済 ・社会が一つの対象ともなったが、さらに土木工学者や港湾造成 ・行政関係者が、従来よりも人文-社会・経済科学の各面より視角を求めるようになった。
その頃の経済成長期には、港湾関係の人たちの討論・研究会がでてきたが、一方で関西など もそうであったか、どうか。横浜では京浜地区の人々の研究会が、中華街でもたれて、さまざまな自由な討論が行なわれた 。大体昭和30年代以降で自由な意見の討論は大変有意義であった。記憶に残る出席者をあげると、(元三建局長、東 寿氏)、(東京都港湾局長、奥村武正氏)、(横浜経済同友会、 加賀美文一氏)、(元港湾建設局長、加納治郎氏)、(神奈川県経済調査会、高見玄一郎氏)、(横浜市大学、柾幸雄)、(関東学院大学、北見俊郎)等の他に若干の出席者をふくめていた。
問題はこの討論会から、学会の形成や具体化が、昭和36年頃から始められ、 昭和37年 8 月に38名の設立発起人 (関東・関西の大学 ・関係各会関係者) の同意を得て、学会役員が構成された。( 第1回大会時、賛助会員 17名、正会員97名の集りから学会が発足したが、研究会の問題意識は、島国 日本の反省もあるが、港湾をめぐる人間・社会・技術の総合性が問われると共に、いかに人文科学・社会科学・自然科学の関連性が、いかに港湾の世界に問われるかでもあったと思われる。) これは港湾経済学会がいかに重要な使命を背負う諜題であると、単に理論的な思想だけではなく、日本の行政面に生かす貴重な課題が、現 在40回の大会をむかえた学会の課題としても、学会発足当時の課題が現在も重要な課題であることを知るべきである。
2.日本港湾経済学会の発足
学会の成立と研究発表が 「港湾経済研究」(日本港湾経済学会年報No 1)に学会発足当時の事情が示されている。その序文においても「経済を通じて港湾をみる港湾経済の研究は、技術や行政などの面からの港湾研究に比べると非常に立ち遅れている」とあるが、幕末開港以来の日本は、何よりも直ちに具体的に発展する科学・技術の海外からの導入があらゆる面で行なわれた。しかしながら人間・社会の平等・近代化等の基本的な商は立ちおくれていた。日本港湾経済学会の発足や目的については、1962年10月12 日(昭. 37)に規定・発足した学会の第 2 条 目的 (本学会は港湾に関する一切の社会的・経済的研究を行い 、わが国港湾の合理的発達に寄与することを目的とする。)は当時の港湾研究の意識 として要を得ているとしても、今後の港湾研究上、学問的にも深さと広さを加えることも必要と思われる。
また、会則の第 3 条事業のうち、(1)年次大会及び定期的研究会の開催。 については会員の増加、地域的部会の形成が全国的にみられ 、全国大会が殆どの主要港をはじめ一般港にて開催されているが、北海道から沖縄の各地域における (北海道部会から関東・東北・ 北陸・中部・関西・九州・沖縄の各部会が)30余年の中で形成されている。
その後、1962年10月16 日、17 日の両日にわたって、日本港湾経済学会の創立総会と、第 l回全国大会が横浜(シルクホテル)にて開催された。創立総会は 学会発起人 (後記参照) 代表の挨拶からはじまり、設立までの経過報告、さらに議事 (すでに述べた学会設立趣意書、会則決定、事業計画、予算案等) がとりあげられた。(この閥、横浜市長、神奈川県知事、運輸省港湾局長による祝意が述べられたが、議事終了後には会長のみならず、当時横浜においては横浜市立大学、横浜国立大学、神奈川大学、関東学院大学の四大学の設立といわれていたが、学会役員を代表する会長をはじめ横浜四大学の代表者の挨拶が行なわれた。)
1962年(昭37) 5 月7 日には、日本港湾経済学会設立準備委員会と、同学会発起人会が東京(経済同友クラブ)にて行なわれた。この発起人会には 関東・ 関西代表、関係者が集ま り、設立趣意書案、会則案、役員選定の案等が検討された。当時、日本港湾経済学会発起人による設立趣意書の全文は次のようである。
日本港湾経済学会設立趣意書
今日わが国が当面している港湾及びこれに関する輸送事情は、極めて重要な 問題を各方面に提起している 。入港船舶の増減あるいは港湾貨物の増減は、もとより景気の動向に支配されるものであり、波動性に富むことは周知の事実であるが、これを長期的に観察するな らば、港湾の整備に対する公共投資の不足、あるいは港湾運送事業の組織及び機能の立後れ、港湾行政及び管理上の矛盾等のため、時として甚だしく困難な事態を招来している。このことは、わが国の 港湾経済の体系そのものを、学問的に深く掘り下げて検討しなければならない 時期に際会していることを意味するものである。
わが国における港湾の経済学的研究は、可なり古くから行われて居り、それは交通論や海運輸の一部として、あるいは倉庫論に付随する問題として、さらに経済地理学上の問題等として研究されて来た。しかし今日、われわれは港湾に関する経済の法則性、港湾の将来の発展の必然的方向、あるいは港湾機能及び活動に関連する経済的、社会的諸問題の研究、これを基礎にした港湾経済の綜合的研究が必要であることを痛切に感ずるものである。
すなわち、このような基本的研究は、現在わが国が当面している港湾問題の解決と、その将来の合理的発展のため寄与することが極めて大であると確信するので、ここに広く各大学、官庁、業界の専門家を糾合して「日本 港湾経済学会」を設立し目的に向かつて努力したい考えである。各界の有識者が如上の港湾問題について 、深い理解と協力を賜わり、本学会
が意義ある事業を遂行出来るよう、御賛同あらんことを切望してやまない次第である。
昭和37年10月12 日
日本港湾経済学会発起人
代表 矢野 剛
同 柴田銀次郎
日本港湾経済学会設立発起人
(昭和37年 8 月15 日現在)
代表(関東) 矢野 剛
同(関西) 柴田銀次郎
発起人(五十音順)
東 寿 (前運輸省第三港湾建設局長)
伊坂市助 (関東学院大学)
伊東重治郎 (東洋大学)
上原轍三郎 (北海道国大)
大森一二 (青山学院大学)
岡野鑑記 (神奈川大学)
奥村武正 (東京都港湾局)
加賀美文一 (横浜経済同友会)
加地照義(神戸商大)
河村宣介(関西大学)
北見俊郎 (関東学院大学)
越村信三郎 (横浜国立大学)
斎藤武雄 (神奈川大学)
佐々木誠治 (神戸大学)
佐波宣平 (京都大学)
柴田銀次郎 (前神戸大学)
住田正二 (運輸省船員局)
左右田俊夫 (神奈川県経済調査会)
高見玄一郎 (神奈川県経済調査会)
富永祐治 (大阪市立大学)
西原峯次郎 (久留米大学)
野田早苗 (福岡大学)
野村寅三郎 (神戸大学)
早瀬利雄(横浜市立大学)
原田三郎(東北大学)
米花 稔(神戸大学)
細野日出男(中央大学)
松浦茂治(愛知学芸大学)
前田義信(甲南大学)
柾 幸雄(横浜市立大学)
松本 清(日本倉庫協会)
武藤正平(横浜国立大学)
宮崎茂一(運輸省港湾局)
布藤豊治(東京商船大学)
矢野剛(前早稲田大学)
吉川貫二(同志社大学)